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2月10日から15日かけて久しぶりの沖縄に行った。コロナの前は、毎冬、1週間ほど原稿書きと称して出かけていた。今回はマレーシアに行った若い友人たちと出かけた。 ※マレーシア旅行記は別サイトのコラム(カクイチ・農の風景)に掲載(その1、その2) |
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| ター滝に繋がる川のせせらぎ | |
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2月10日11:25羽田発ANA471便の座席の缶酎ハイから旅は始まった。14:35に那覇空港に着き「国際通り」に向った。同行した友人のMは「国際通り」には行ったことが無いとの事だったので、おじんの僕は「国際通り」は、那覇観光の定番だと言ったからだ。ゆうレールに乗り県庁前でおり「国際通り」の「わしたショップ」を冷やかしながら、牧志市場の2Fの食堂へと向かった。この食堂は観光客値段で決して安くはないが、まずはオリオンビールで乾杯し、ソーキそばから沖縄の旅はスタートした。 夕方那覇の泡盛蔵元「まさひろ酒造」の友人がホテルに迎いに来て夕食を一緒にすることにしていたのでホテルに早めにチャックインした。18時にホテルに迎えに来た友人の案内で居酒屋に行った。案内された居酒屋は人気店のようだったが、メニューをみて驚いた。 <深谷のねぎ、栃尾の油揚げ、合鴨のたたき・・・・> 「おい、H、この店、内地の具材が多い店だな」 「はい、沖縄人は沖縄料理には飽きていて、内地の食材が食べられる店が人気なのです」 とHは答えた。 <確かにそうだ・・・> と僕は思い、10年以上まえに石垣島に行ったことを思い出した。その時は、ある研究調査で行ったのだが、石垣町の役場の方々との懇親会場が島の中華料理屋だったので、内地の研究仲間が、 「稲田、沖縄料理じゃないのか」 と小さな声で僕に言った。それが聞こえた石垣島の友人は、 「役場の連中は稲田たちを歓迎してるんだ、沖縄料理よりも中華のほうが格上なんだ」 と僕に教えてくれた。 僕は研究仲間にその事を教えてやったら、仲間たちは、 「そんなものかー」と言っていたものだった。 土地が違えば食文化の風土も違うのかと妙に納得したようだった。 翌日は9時30分にホテルに迎えに来てくれることななったので、2次会はやめホテルに戻った。 翌日(11日)、迎えにきてくれたHの車で、西海岸の58号線を北上し、本部町の有名な沖縄そば屋「きしもと食堂八重岳店」で昼を食べ、その後、大宜味村ター滝に行った。ター滝は渓谷の上流にあり、沢登が必要なため、若いHとMは登って行ったが、僕は年寄りには危険だと考え、途中の手ごろな石に座り30分ほど瞑想した。空気は透明、それを吸い込むと身体が深山渓谷にワープし、しばらくすると渓谷の水の流れ音で現世にもどる感覚だった。 ター滝から戻ってきた2人と合流し、この7月に開業予定のテーマパーク「ジャングリア」の建設予定地を見て、米軍がやっている嘉手納米軍基地のステーキハウス「シーサイド カデナマリーナ」に向った。この店のZIPコードはサンフランシスコらしく、支払いもドル、チップも必要で、アメリカにいる感覚だった。3人で東シナ海に面したテラス席に座り、白ワインと赤ワインを飲みながら、タコスとTボーンステーキを食べ、つかの間のアメリカを楽しんだ。東シナ海へ沈む夕日がきれいだった。 |
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| きしもと食堂 沖縄そば | 中城グスク |
| 12日は東京からもう1人の若い友人Yとおもろまちのレンタカー屋で合流し、中城グスクに向かった。中城グスクの石垣は特に立派だった。このグスクは、琉球王朝が統一される前に、この地域の豪族が他の豪族の侵略に備えて建設したものだ。中城グスクにはアメリカのペリー提督が1853年5月に上陸し、城壁の美しさに驚いたとの記録が残っている。その後、勝連城グスクを見学し、本島と宮城島を結んでいる海中道路をドライブし那覇に戻り、沖縄料理の「うりずん」で泡盛のクースで乾杯した。 | |
| その2 | |
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