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| 伊平屋島(ジューマ海岸) | |
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13日はバスで今帰仁の運天港へ行きフェリーに乗り継いで伊平屋島に向った。伊平屋島はサンゴ礁に囲まれた小さな島だが、この島に暮らしていた屋蔵大主(やぐらうふすー)のひ孫にあたる尚巴志(しょうはし)が1429年に統一王朝「琉球王国」を造ったとされている。この日は3mから4mの波がありフェリーはかなり揺れたが、定刻通りに島に着き、我喜屋地区の「松金旅館」という宿に向った。 宿には夕食が付かないので、港の近くの「海魚」という居酒屋に行き、島の「照島」という泡盛を飲みながらの宴会、宴会終了後、酔いを醒ましながら海辺の道をほろ酔い気分で、2次会に向かった。この海辺の道のほろ酔い歩きは、半年前のY、Mと僕とで行ったレダン島での浜辺の道での経験と重なった。どうも、僕たち3人の島での行動、地元の居酒屋で飲み、ほろ酔い気分で海岸を散歩する基本行動は、海外でも国内でも変わらないらしい。 2次会は宿の近くのBarトップだった。ドアを開けて驚いた。店はフィリピン人の二人の女の子がやっていたからだ。カウンターに座りさっそく話かけると、日本語を話せる1人の女の子は、島の男と結婚し伊平屋島にきたらしい。もう一人は数カ月前にきたらしく、日本語は少ししか分からないようだった。僕たちがビギンの歌などをカラオケで歌ったら、女の子たちはプレスリーのラヴ・ミー・テンダーなどを英語で熱唱していた。そのうちに、地元の常連客のおじさんが来て皆で飲みながら歌った。 |
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| 伊平屋島フェリーターミナル | リュウゼツラン・スナヅル・シマアザミ |
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翌朝は港でレンタカーをかり、Yの運転で島の南部にある野甫島に向かった、野甫大橋を渡りしばらく行き小さな道を右折した。ジューマ海岸と書かれた小さな看板が目についたので、道端に車を停めて海岸への道を下った。道は砂地だった。モンパの木が生えているゆるい下り坂の道をゆっくりとおりた。
目の前は白い海岸だった。左には小さな小島があり、目の前には島尻の賀陽山が「デン」と座っていた。サンゴ礁に囲まれた穏やかな入り江だった。僕は砂浜に座り海をじっと眺めた。若い友人たちは砂浜を歩いていった。 <引き潮だった> 僕はフト立ち上がり沖合の干潟に向かった。引き潮で外洋に戻れなかった海水が溜まった岩の中には多くの小魚が泳いでいた。小魚たちが泳いでいるところは、小魚たちの「ゆりかご」のようだった。どの海水の溜まりにも小魚が泳いでいた。蟹も動き回っていた。ふと目を上げると2人の若者たちは、やや離れた海岸を歩いていた。 <この入り江はサンゴ礁が防波堤になっており外海の東シナ海から守られている> 僕は入り江が見渡せる砂の上に腰を落とし、飽くこともなく、サンゴ礁を見つめていた。フト周りを見ると、改めてここは南の島なのだと実感した。リュウゼツランが生えており、その横に寄生植物のスナヅルがシマアザミを取り込むようにはびこっていたからだ。 目を入り江に移すと、やや大きな白い波が沖合のサンゴ礁を超えたようにみえた。 その瞬間、 <小魚たちは波に飲み込まれ外海に流された> と思った。 サンゴ礁の防波堤がなくなると、小魚の「ゆりかご」は波にあらわれ、またたく間に消滅してしまうだろう。そして、最終的には、この美しい景観もなくなってしまう。 <サンゴ礁の防波堤がなくなると小魚や景観もなくなる> と、何回もつぶやいた。 フト、人間も同じだと思った。サンゴ礁の小さな魚も人間も、毎日、同じことを繰り返し生きているのだ。運が悪いと大波が来て、一瞬のうちに小さな魚は大海に流されてしまう。我々人間も、小魚と同じで、明日も今日と同じ日を過ごせるように、大波がこないことを祈るしかないのだ。 「稲田さん、そろそろ、行きますか」 と若い友人たちの声がした。 <今、ジューマ海岸に友人たちといる・・・・その単純な事実が重要なのだ> と僕は思った。 その夜は、「釣り吉」という居酒屋で、「地魚刺身」、「ヤギの塩煮」、「貝みそ」、「魚ざ」、「地魚の煮つけ」などを肴に島の泡盛「照島」をやった。 15日は9:00のフェリーで本島に戻り、バスでオリオンホテル モトブ リゾートで降り、備瀬のフクギ並木を1時間ほど散策した。並木の中に民家があり、並木の中に砂浜に繋がる道があった。その道に足を踏み込めば、身体がフクギの木々に吸い込まれそうだった。 |
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| フクギ並木の小道 | 伊江島遠景 |
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<並木を散歩し、エメラルドグリーンの砂浜に寝ころび、正面の伊江島を眺めながらオリオンビールを飲み、一日中空をみる> <外からのあらゆる声を遮断し、飲みたいときは飲み、寝たいときは寝る、創作意欲が高まれば「人の物語」を書く> などとマジに思った。 海辺のハワイアンカフェチャハヤブランでビールを飲んだ。ここで、「まさひろ酒造」のHと待ち合せした。 ランチはどこがいい?とHに聞くと、名護の「Restaurant ふりっぱー」というステーキ屋がおすすめですとのことだったので、4人で名護にむかった。 友人たちはフリッーパーフィレステーキ300gを注文、僕も彼らの影響を受けてフリッーパーフィレステーキ230gに挑戦した。柔らかく、赤ワインに合う美味い肉だった。 その後は、キャンプ・ハンセンが島民感謝デーだったので、身分証明書を提示しアメリカ基地に入りスーパーなどに行った。スーパーの品ぞろいを見ていると、30年前にアメリカの田舎町で暮らしていたことを思い出した。 Hに那覇空港に送って貰い、空港の居酒屋で最後の晩餐をやった。内地の3人は、それぞれ、8:15、8:50、9:20と別々の飛行機だったので、居酒屋から一人去り、また一人去っていった。その別れ方が、まさに「旅の終わり」のようで、決まっていた。 |
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