6月末に北海道の旅に出かけることにした。ボクが5月に出版した小説「渋沢翁からの贈り物―大事なことはじっちゃんの『いろはかるた』が教えてくれた」を十勝清水町の小学校・中学校・高校・図書館と町長と教育長に寄贈するためだ。
十勝清水町には渋沢栄一が設立した十勝開墾会社があったから清水町の友人Kに小説を寄贈したいと言ったところ、「できれば清水町に来たらどうか」との話になり、今回の十勝行きになった。せっかく、北海道に行くのだから、取材旅行を兼ねて、帯広から十勝に入り、釧路・摩周湖・屈斜路湖・網走原生花園を見て、礼文島・利尻島を回る9日間の旅にした。

今回は、友人Yの車で、Kと画伯のMとの4人で、清水町⇒然別湖⇒ひがし大雪自然ガイドセンター⇒糠平温泉郷⇒幻の橋タウシュベツ川橋梁を回った報告だ。然別湖は、大雪山国立公園唯一の自然湖で、標高810mと道内では最も高い場所にある。然別湖が一望できるテラスに立って湖を見ていたら、昔、今は亡き写真家星野道夫の事を思い出した。
同行したKが、「1993年2月に星野道夫が『アラスカ星野道夫 風のような物語り 写真展&トークイン十勝』で清水町文化センターで講演し、そのあと、星野はKたちと然別湖の氷の風呂に入り喜んでいた」
と思い出話をしていた。

《星野道夫は、それから5年後の8月にカムチャッカのクルリ湖畔でクマに襲われこの世を去った》

星野は僕の札幌時代のMと言う文化人類学者の友人だったので、札幌で開催された写真展で彼と会っことがあった。星野が命を絶ったと聞いたときに、気持ちが落ち込んでしまったことを今でも覚えている。

然別湖から「ひがし大雪自然ガイドセンター」に向かい、タウシュベツ川橋梁での情報を集めた。センターから8kmほどで歩いて行けるとの事だったが、途中、ヒグマがでる恐れがあるのでお勧めしないとアドバイスされ、僕たちは、国道273号線を旭川方面に8km進んだ地点にあるタウシュベツ展望台から眺めることにした。

273号線沿いにある駐車場から展望台までは200mくらいの林道を歩き展望台に向かう。途中の林道の両側には熊笹が生い茂り、ヒグマがいるような気がした。
僕たちは
―熊さん、人間が歩いていますとか、童謡か何かを歌いながらー
進んだ。

人間とはおかしな動物で、ある事、この場合には、「近くに熊がいる」と一瞬考えてしまうと、それが心の中に浸透してしまい、その結果、今、思い出すと滑稽なのだが、全員の足が速くなるのだ。

展望台から見た「幻の橋タウシュベツ川橋梁」は、川の中に少しだけ足を伸ばしたようなT字形の橋げたに支えられていた。静寂のなかに無言で整然とたっているその姿は孤高そのものだった。

タウシュベツ川橋梁は、この地域に点在する旧国鉄士幌線のコンクリートアーチ橋梁群の中でも、最も、代表的なアーチ橋で、ダムの水が少ない1月頃から凍結した湖面に姿を現し、水位が上昇する6月頃から沈み始め、10月頃には湖底に沈むことから幻の橋と呼ばれている。この橋は、国鉄士幌線が1939年(昭和14年)に十勝三股駅まで開通した際に、タウシュベツ川に架けられた橋で、1955年に、水力発電用人造ダム湖である糠平ダムが建設され、その橋梁周辺が湖底に沈むことになったために、橋梁上の線路は撤去されたものの橋梁自体は湖の中に残されることとなり現在までその姿を留めている。

タウシュベツ川橋梁から糠平源泉郷に向かった。ランチをして日帰り入浴を楽しもうという算段だ。ガイドセンターでもらった案内によれば、糠平源泉郷は道東屈指の温泉場・スキー場として栄えたと書いてあった。

しかし、現地に着くと温泉街は、ランチを食べるレストランところか、人っ子一人歩いていない。助手席に座っていたKが車を降り、一軒の温泉旅館に入っていった。

しばらくして、Kは手でバッテンの形を作り、
「食事ができる店はないそうだ。おまけに日帰り入浴は14時過ぎからだってさ。こうなれば、士幌町に向かおう。士幌町で昼飯を食べて緑風と言う温泉センターで風呂に入ろう」
と諦めた表情で言った。

Yの運転で士幌町に向かった。僕は窓から外を見ていた。外の景色は、相変わらず畑が続いている。昨夜の宴会の疲れがでたのか、YとKとMの会話が徐々に小さくなり、気が付くと、僕は昭和初期の糠平温泉郷らしい景色の中にいた。

浴衣をきた男たちが手拭いをぶら下げ、道端に雑草がはいている道を歩いている姿だった・・・・と思ったら、その風景は一瞬で消えて、タウシュベツ川橋梁の上をトロッコ電車のような蒸気機関車が黒い煙を出して走っている風景に代わった。僕はその機関車をよく見ようと思ったのだが、その汽車は、なぜか、札幌駅らしい大きな古びた駅に着いてしまった。すると、今度は、時代が現代にワープし、僕と草野道夫が談笑している場面に変わった。星野道夫はにこやかに笑っていた。

これらの場面は、平面ではなく立体画像だった。そこに現れたのは、すべて現世界には存在していない士幌線、消えゆきそうな温泉街、そして、来世に旅立った写真家だった。それらの映像は、単に点として存在していたのではなく、自然・人間・社会が一連の文脈の中で、生まれは消えていく姿を映しているような気がした。

―稲田さん、画伯殿、昼飯だー
と、突然Kの声がした。

僕と画伯のMは、士幌町の食堂で、当然のように帯広名物「豚丼」を食べた。

この原稿を書いているときに糠平温泉郷のHPを見ていたら、そこには、この温泉街を森に復元するプロジェクトが進行中だと書いてあり、生あるものは人間であれ、建物であれ、風景であれ、すべては自然のままに流れ、宇宙に帰っていくのだと感じた。
 
閉じる