天気が良い日に、最近は、週1日ウィークデーに休みをとり、リフレッシュを兼ねて近場に出かけることにしている。先日は横浜三渓園に行った。
 
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家原三溪によって建設され、1906年に公開された広大な庭園である。園内には京都や鎌倉などの寺から3重塔など歴史的な建造物が移築されている。三溪は、文化・芸術をこよなく愛し、前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など多くの作品が園内で生まれた。
大池から見た燈明寺三重塔
 
当日は京浜東北線で根岸に行きそこからバスで向かった。バスを降り住宅街を暫く歩くと右側に土産物屋があり、その先が三渓園正面入口だった。大池に面した藤棚に座り、園内の歩くルートをシミュレートした。まず歓心橋を渡ったところにある高浜虚子の句碑に向かった。
 
<鴨の嘴よりたらたらと春の泥>
の句碑を見た。
春の泥は季語で、鴨が池の水に嘴を突っ込んで餌を漁っているときに、その嘴から水が落ちている状況を切り取った句だ。この句が書かれた昭和の初めには、三渓園は東京湾に面していた。

虚子の歌碑をみて石段を登り三重塔に行った。この三重塔は、室町時代に京都木津川の燈明寺に建てられたものを大正時代に移築したものだ。変な言い方だが、一個人が、本物の塔を京都で解体し、東海道を運び、この地で組み立てるには、かなりの資金が必要だったと思うが、その移築を、一人の個人がやったことに少し驚きを感じた。そんなことを思いながら展望台になっている松風閣への道を登った。松風閣と言う名前は伊藤博文がつけたらしい。

松風閣からタゴールが見た東京湾の景色(今はその面影はない)
 
松風閣に滞在したインドの詩人タゴールは、松風閣から見える東京湾の景色に非常に感動し、1か月ほど滞在したと言われている。タゴールは岡倉天心たちと交流していた親日家だったが、日本の中国への侵略に反対し、日本の大陸進出は「日本の伝統美」を破壊するものであると厳しく批判し、1929年の訪日を最後に、再び、日本を訪れることはなかった。
 
高台にある松風閣から坂道を下り、大正11年に原家の住まいとなる臨春閣・白雲邸などの内苑を回った。重要文化財建造物の臨春閣は2019年からの大規模な桧皮葺きと?葺きの屋根の葺き替え工事が終わり、江戸時代の姿が蘇っていた。国の「神仏分離令」による「廃仏毀釈」などにより、多くの文化財が失われる中で、原三溪は伝統ある文化・歴史の遺産を守り継いたのである。

臨春閣(左)・白雲邸(右)
 
帰りは、三渓園前から横浜駅行きの市営バスに乗り山下橋で下車した。codie'sと言うハンバーガーハウスでランチを取るためだった。横浜に住む友人が、codie'sのハンバーガーは美味いと言っていたのを思い出したからだ。
 
―お店はバス停のすぐ前にあった―
早速、コーラーとハンバーガーを注文した。牛肉の味と歯ごたえがしっかりしていて、25年前にアメリカの友人宅でのバーベキューパーティーのハンバーガーの味を思い出し懐かしかった。

ランチの後、高速道路の下の道を渡り、世界の広場と山下公園をぶらつき、ホテルニューグランドに入った。このホテルも1902年に開業した横浜の歴史と共に歩んできたホテルだ。
 
<カフェを飲みながら三渓園の事を考えていた>
 
三渓園は、昭和12年に三溪の長男が早折し、それを追うように昭和14年に三渓が亡くなった。その後、三渓園は原家により管理が続けられていたが、1953年に原家は庭園の大部分を新たに設立した財団法人三溪園保勝会に譲った。三溪が本宅の「鶴翔閣」を建てた1902年から数えて50年後だった。
     
三渓園はわずか一代で終わった。三渓園の輝きは一瞬だった。大黒柱の三渓がなくなり、第2次世界大戦の空襲により大きな被害を受け、原家個人では財政的にも修復が難しかったに違いない。その時点で、三渓園は失なっていてもおかしくはなかった。しかし、原家が財団法人三溪園保勝会に管理を移譲したおかげで、庭園や建物は当時のまま残ったのである。
 
僕はふと、荘子の言葉「不知の知」を思い出した。この言葉の正確な意味は、今も良くはわからないのだが、三渓園を原三渓の三渓園として見るのではなく、現在の三渓園をあるがままに受けいれることが重要なのではないかと思った。
 
人間が生き活動している時間などは、歴史や宇宙の観点から見れば、「無」のようなものだ、そのような「無」の中で、ある1つの時代で財を成したり、国を支配したりした人間を「偉い」とか「偉くない」などと言うのは、人間を「ある1つの知(価値)」で評価する単なる選択」のひとつに過ぎず、その文脈において、きわめて抽象的・恣意的に過ぎないのだ。これに対し、桧皮葺きと?葺きの屋根の臨春閣や室町時代に建てられた燈明寺三重塔は、今も、目の前に存在している。
 
つまり、
<人間の栄華や成功は、文化や芸術に比べたら一瞬の出来事に過ぎないのかもしれない。なぜなら、絵画や音楽や庭園や建物は確実に存在しているのだから>
 
そう考えたら、横でランチをしている若者のカップルがやけに美しく見えた。
彼らは、今、確実に存在している。
僕は、彼らに、
―今、この時を大事にとー
と声をかけたくなった。
 
 
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