Time has passed

松本清張の「菊枕」という短編を読んだ、この小説の主人公「ぬい女」は杉田久女と言う女流俳人であることはよく知られている。また、小説に出てくる「ぬい」が師と仰ぐ俳人宮萩栴堂は高浜虚子の事である。虚子は、当時、鎌倉に住んでいて、「夏山を軒に大仏殿とかや」の句を詠んでいる。この句を思い出したら、久しぶりに鎌倉に行こうと思いたち、翌日、鎌倉に向かった。

朝8時半に東京駅の地下ホームから横須賀線に乗り鎌倉に向かった。暫くして横須賀線の品川から横浜までのルートが変わっていることに気がついた。昔のルートは川崎・鶴見を通る東海道線だったのだが、今のルートは武蔵小杉、新川崎を通る湘南新宿ラインになっていた。
<時代は変わった>

北鎌倉駅で下車し、浄智寺の横の道からハイキングコースに入り葛原岡神社に向かった。緩やかな道を登りながら、ふと、
-この道は歩いたことがある-
と思った。記憶が蘇るまでに時間はかからなかった。

学生時代の恩師が北鎌倉に住んでいて、当時、小学生低学年だった恩師の娘のSちゃんと来たことがあった。Sちゃんは、僕たちの前を、道案内の天使のように飛ぶように歩いていたことを思い出したからだ。

葛原岡神社のベンチに座り少し休憩した。この神社は、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕計画に加担し、1332年にこの地で殺された日野俊基を祀った神社だ。この事件後の1333年に楠木正成や新田義貞らによって鎌倉幕府は滅亡する。

葛原岡神社から道を少し下り銭洗弁天へ向かった。銭洗弁天へは、うす暗い洞窟を通って向かう。洞窟を抜けると、突然、パーッと昔の記憶が蘇った。
当時、学生だった僕たちに、Sちゃんが、
「稲田先生、M先生(恩師の娘たちは、僕たち学生を先生と呼んでいた)、このお水でお金を洗い、それをお財布に入れとくと大金もちになるのよ」
と教えてくれた。
僕たちはこの言葉を信じ、100円玉を何個かザルに入れて洗ったことを覚えている。

銭洗弁天 鎌倉大仏
 
銭洗弁天から大仏コースへ戻った。途中、鶯の声が聞こえたが、まだ、今年の初鳴きに近かったのか。最後までうまく泣けずに、ホーホケッ・・・のように聞こえた。

<45分のハイキングコースを登ったり下ったりして大仏についた>

大仏を見たのはずいぶん前だった。鎌倉大仏は美男だと言われているので、じっくりみると、確かにきれいな顔をしていた。大仏の裏に与謝野晶子の歌碑があったので、行ってみると、

<かまくらやみほとけなれど釈迦無尼は美男における夏木立かな>

との歌が刻まれていた。
なるほど、鎌倉大仏が美男だとの話は、この歌から来たのだと妙に納得した。

大仏から江ノ電の線路を越え由比ガ浜がよく見えるイタリアンでランチを食べた。僕の横の席には、二人の若い女性がそれぞれの子供を連れてランチをしていた。二人ともビールを飲んでいた。

ランチを終え、由比ガ浜海岸を心地良い海風に吹かれながら、潮風を肺に大きく吸い込んだ。砂浜に仰向けになり、波の音を聞きながら空を見上げた。

<雲が、定期的にゆっくりと流れている>

先ほど見たランチの光景を思い出していた。僕が昼酒を人様の前で飲めるようになったのは最近の事で、今でも若い友人たちと旅に出た時などは、
-悪いけど一杯やらしてもらうよ-
と声をかけている。
<時代は変わった>
鶴岡八幡宮
 
僕は、大きく頷き意を決して起き上がり、滑川の横の石段を登り、若宮大路を本日の最終目的である鶴岡八幡宮へ向かった。
八幡宮で賽銭を入れ、柏手をうち平和を祈った。

<60段の階段を下りていた時に妙な感覚に陥った>

-源実朝が暗殺された時に犯人の公卿が隠れていたとされる大銀杏がない-
のに気が付いたからだ。

よく見ると、階段を降りた右側に銀杏の切り株があった。これがあの大銀杏か・・・・家に帰り調べてみると、大銀杏は2010年の早朝、強風により倒木し、根から4mくらいのところで切断されていた。
<時代は変わった>

少し歩き疲れたので、小味な喫茶店でカフェをしようと思い小町通を歩いたが、通りはほかの観光地と同じような店ばかりなので諦め鎌倉駅に向かった。小町通りを出たところに「ルノアール」があったので入り、コーヒーとケーキを頼み、この原稿のイントロを書き始めた。

<鎌倉には学生時代によく来ていた。大晦日から北鎌倉の恩師の家に泊まり、初詣は鶴岡八幡宮に行った>

当時は、恩師の家に行くのが珍しいことではなかったように思う。

少し前に仲の良い若い友人の大学教授に聞いたら、
-今は、共働きの先生が多いので、学生を自宅に呼ぶことは少ないんじゃないか-
と言っていた事を思い出した。

確かにそうかもしれない、社会全体に「ユトリ」がなくなりとそれに比例して、先生と弟子とのつながりは薄くなるのかもしれない。聞くところによれば、会社でも上司や同僚と飲むのが少なくなってきたらしい。

《確かに時代は変わった》

オックスフォード大学のある老教授が、マッカサーの言葉をまねて言ったことを思いだした。
-Old professors never die; They only disappear-
 
 
閉じる