2010年の3月ウクライナに行った。大学で教えていたころの教え子がウクライナの留学生だったからだ。名前はY君、このY君から、ぜひ、キーフに遊びに来てくれと誘われ、モスクワ経由でキーフに入りY君の家に滞在した。

-旧モスクワ空港は、暗く・汚れていたのを記憶している-

キーフでは、ゼレンスキー大統領のSNSに写っていた恐竜の館や、独立広場、大聖堂、郊外の野外民俗博物館、ウクライナ国立歌劇場でのバレーとオペラのバルコニー席での観戦などY君の両親と兄が非常に歓待してくれた。

手元にあるアルバムを見ていると、キーフから30分ほどにあるY君の家のダーチャ(菜園付き別荘)で、隣のウクライナ人の家族と食事をしたことを思い出した。
-夏の間や週末にダーチャで野菜を作りながら過ごすのだ-
と、彼らは楽しそうに話してくれた。

アルバムには、現在、多くのウクライナ人が避難している世界遺産のリヴィウの写真もあった。日本人だけだと危険だからという事で、Y君と兄さんとお母さんが、寝台列車でリヴィウに同行してくれた。 現地では、お母さんのリヴィウに住む友人が歴史地区を案内してくれた。

<民俗村でお土産に買った陶器やお母さんがお土産に持たせてくれたグラスなどが、今も、食卓のテーブルを飾っている>

民俗村で買ったお土産
 
そんな暖かなお土産を見ると、テレビから送られてくるキーフの美しい特徴のある建物が破壊されている映像は胸を締め付ける。

<Y君や兄は、おそらく、戦争に、両親はキーフを脱出できたのか?>
<皆が生きていることを祈るだけだ>

大学教授だった教え子のパパは、僕たちにウクライナの歴史を語ってくれ、その後、声を抑えて「ロシアは大きらいだ」と言っていた。
―その時のパパの表情を今も鮮明に覚えているー

ウクライナは、11世紀ごろのキーフ公国がもとで、その後、モンゴルによる侵攻、キーフ公国が衰退するやそのどのさくさに乗じ、ロシア(モスクワ)がキーフ公国を奪った。また、スターリン時代には、飢饉と外貨獲得のためにウクライナの農民から穀物を強制的に強奪し、近年では、ウクライナの軍需産業を自分たちの支配下においた。ウクライナは、絶えずロシアからの侵略と略奪に遭遇してきたのである。

-今回のロシアの侵略に頑強に抵抗し続けているウクライナ国民には、これらの歴史の怨念がある-

プーチンのウクライナへの侵攻は「悪」そのもので、決して許されるべきものではないが、人間は生まれながらに「悪」の心をもっているらしい。

<一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ>

と言うチャップリンの『殺人狂時代』の言葉もあるくらいだ。

歴史を見れば、スペイン、イギリス、フランス等の「帝国主義時代」の植民地支配、それに追随した日本、これら国々の独裁者・権力者たちは、国益と言う大義の鎧をまとい、邪悪な海外への侵略を正当化したのだ。その侵略は、何の抵抗もできない貧しき善良な市民への「略奪・虐殺」へと繋がる。しかも恐ろしいことに、侵略者たちは、それらの「略奪・虐殺」は、国益にとって、必要な犠牲なのだと正当化するのだ。

-結局のところ、人類は、同じ過ちを何回も繰り返しているのだ-

善と悪、人間の営みとは何なのか?
<一握りの人間の欲望達成と自己満足、その一方での大多数の市民の諦め>
人間とはどうしようもない存在なのか?

このような罪深く・欲深い人間が、人間として天をみて堂々と歩くためには、「権力」、「名誉」、「お金」を目的として生きるのではなく、人間としての「倫理観」、「道徳観」、そして「誇り」を目標として生きるしかないのだ。

こんな当たり前のことが、当たり前でなくなった時代の人類は、無意識のまま、目には見えない「ブラックホール」に向かっている。この方向を変えるために人類は、より謙虚になり、「尊厳」を失わず、新たなパラダイムシフトを創り上げる道しか残されていない。

しかし、現実的に考えれば、僕たちの出来ることは限られている。日本を含めた西側諸国のロシアへの経済制裁を、たとえ、小麦、ガソリン、電気、食料品等の価格が上がろうとも、僕たちは継続し、車を控え、パンや麺の代わりにコメをできるだけ食べ、電気を節約するなどの我慢を続けることしかできないのだ。
 
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