秋田には友人が多い。友人の一人の先輩が、昨年、定年を迎えたので、そのご苦労会を開くことになっていたのだが、コロナ渦で延期になっていた。10月にコロナの緊急事態宣言が解除されたので、思い切って秋田に出かけることにした。次作の短編小説の舞台を、別の友人がいる鹿角の農村に設定することにしていたので、その取材旅行も兼ねることにした。

―当日は、新幹線で盛岡に向かった。盛岡からは迎えに来た友人Kの車で、紅葉が見ごろな十和田湖・奥入瀬に向かったー

十和田湖展望台からみた十和田湖は、赤、黄、茶、緑の葉が何層にも重なり自然の配色が微妙なバランスで配置され、青空に浮かんでいる白い雲をバックに静かな青い湖面を横たえていた。奥入瀬渓谷では、小一時間程度を渓流に沿って歩いた、紅葉もよかったが、それ以上にすごかったのは、「石ヶ戸」、「馬門岩」などの渓流沿いの断崖の見事さに圧倒された。
 
十和田湖展望台から 友人Kの家
   
<その晩は友人の親戚のIの家に食事によばれていた>

夕食はキノコの鹿角で有名なカノカの煮付け、来客があったと時の馬肉の煮付け、サワモダシと大根おろし、山菜、そして、せり、マイタケが入ったきりたんぽだ。お酒はモチ熱燗だ。
「このきのこは美味いですね。全部、地元のものですか」
「そうだ、この辺じゃ、きのこと山菜とコメで食っていけるからな。今、食べているのは夏にとり、塩づけにした『みず』と言う山菜だ」
Iは説明してくれた。
「今日、少し鹿角の街を歩いたが、ほとんど人を見なかったけど」
とK、
「地方は閑散としていて人がいない。デジタルを活用した地方活性化なんかは、こっちの感覚では?だな」
とY、
「そうだな。都会の人たちは、現実を知らなすぎる。おまけに、ここらあたりの基幹産業の農業・林業はガタガタだ」
とI、
「都会は稼げるって言うけど、都会で500万、600万稼げる若者は、一部の優秀な大学を卒業し、大手企業に就職できるごく一部の若者だよ。平均的な若者は、そこまで高い給料を貰えれていないのが、現状だよ」
と僕、
「農業で200万、兼業で250万、この程度稼げれば、こっちに住む若者もいると思うよ」
とI、
「そうだね。このままでは、鹿角を初めここらへんは人がいなくなる・・・・」

<こんな話をしながら、熱燗の2合徳利が何本もカラになった>

翌日は、小坂町に向かった。この地は、昔、銅山で栄えた町で、明治38年に建てられた小坂鉱山事務所を見学した。事務所の建物は、木造ゴシック建築の影響を受けた白亜の西洋建築で、明治期から大正期にかけて産出額日本一を誇った小坂鉱山のシンボルである。
事務所の横には康楽館と言う小坂鉱山従業員と家族の慰安施設として建てられた日本最古級の芝居小屋があった。小屋の内部は、切穴(すっぽん)や回り舞台といった人力によって動く仕掛けや花道、昔ながらの桟敷席など往時の趣が今なお残っている。芝居小屋の叔父さんの案内によれば、現在も4~11月のほぼ、毎日、人情芝居や舞台ショーが行われ、芝居を見物しながら飲食も楽しめるようにと各種弁当の取り扱いやそば処も備え、訪れる人たちを楽しませているとの事だった。

その後、大湯にある縄文時代後期に建設された2つの環状列石に行った。この種の配石遺構は、墓の集合体である「集団墓」の可能性が高いと考えられている。2つの環状列石は、道を挟んで並んでいて、石の周りには掘立柱建物や祭祀の遺物などが出土していることから、葬送儀礼を行った「祭祀施設」であったと考えられている。また、キノコ形土土器が出土していることから、この地域は、昔からのキノコの産地であり、豊作祈願をしていたとも考えられる。
 
大湯環状列石 湯瀬温泉の渓谷
   
その晩、泊まった湯瀬温泉ホテルの露天風呂からみた紅葉は最高だった。誰もいない露天風呂で、一人渓谷を正面にして、ゆったりと冷えた缶ビールを飲みながら紅葉を眺めた。露天風呂の窓枠にはガラスがないので、渓谷の紅葉と僕の間には、遮る物理的なものがないので、川を挟んだ赤や黄色の紅葉が薄い光の中に浮かび幻想的な感じがした。微妙な明かり中に浮かんでいる紅葉の赤とビールの軽い酔いが、僕をある瞑想へと連れて行った。

<環状列石がある大湯の土壌は強酸性のために、「集団墓」の確実な証拠としての遺骨が残っていない・・・ってことは、環状列石は「集団墓」ではなく、縄文前期に地球に来た宇宙人が、近くの手ごろな石を集め、環状に並べたに違いない>
という瞑想だった。

翌日、角館の武家屋敷を見学し、有名な比内鶏の親子丼を食べ、友人に角舘駅まで送ってもらい、新幹線で秋田に向かった。秋田新幹線は単線で、上りと下りがすれ違うときには、上下線とも駅で停車し、相手方の通過を待つのである。その空気がとてもノンビリとしていて何ともいえない懐かしさを感じた。

秋田では、千秋公園の前の秋田キャッスルホテルにチェックインした。17時に友人のSとホテルのロビーで待ち合わせ、二人で駅前の郷土料理屋に向かった。暫くして、本日の主賓の先輩のFが来た。三人とも、挨拶はソコソコに、まずは、一杯って事になり、「ご苦労様会」が始まった。 

酒は、「天下の太平山」の燗酒だ。秋田では、昔から、本醸造の2級酒の「高清水」、「太平山」、そして、「新政」が庶民の酒だった。しかし、「新政」は、蔵元の代が代わり、本醸造の大衆酒の生産をやめ、純米系の高級酒生産に経営を転換したために、今では、庶民が、簡単には、手が届かない酒になってしまった。

3年ぶりに再会した3人は、醸造用アルコールを添加した本醸造酒が好みだった。そう言えば、一昨日、Iの家で飲んだ燗酒も、確か、「高清水」の本醸造だった。SやFやIは、僕も含め、お酒ってものは、一日働いた労働者たちが、「今日も良く働いた。明日も頑張ろう」って気持ちで、自分自身のご褒美のために飲むものだと思っている。

<1本、2万も3万もする酒は、このご褒美にマッチする飲み物ではない>

今回、秋田で飲んだ友人たちは、皆、同じような感覚を持っていた。久しぶりに会った3人は話が弾み、この日も熱燗の2合徳利が定期的に空いた。秋田の人は酒が強い。
 
 
 
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