・・・・・その3・・・・・ 
翌日、Kは仕事があったので、ガイドを頼みハバナ市内の観光に向かった。まずは、革命の英雄チェ・ゲバラの革命広場だ。ゲバラはキューバー革命が成功した5年後、南米ボリビアの革命に参加したが、アンデス山脈のチューロ渓谷の戦いで捉えられ、1967年10月8日にイゲラで射殺された。この射殺はCIAが指示したとも言われている。ゲバラの男らしい生き方に賛同し、現在でも世界の若者にはゲバラファンが多い。昨日訪れたアロマス広場には、ゲバラの肖像画をコピーした多くのTシャツが売られていたが、今日、訪れた革命広場は、写真にもあるように、人がほとんどいなく、ときおり、観光客のバスが通る程度でキワメテ静かだったのが印象的だった。
革命広場のチェ・ゲバラ 革命広場の記念塔
革命広場からアロマス広場にもどり、昼のランチは、ヘミングウェー行きつけのエンペドラード通り(Calle Empedrado)沿い「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」と言うレストラン&バーで食べた。ここでは、白身魚フライの様なものと細かく刻んだキャベツとトマトとにんじんときゅうりの野菜サラダ風のものと日本の赤飯のような黒豆いりのご飯を食べた。酒は、もちろん、ヘミングウェーが「My mojito in La Bodeguita、My daiquiri in El Floridita」と言ったと伝えられているモヒート(ラム酒にミントの葉を入れたもの)とパパダブル(ヘミングウェーお気に入りのラム酒が2倍はいった砂糖抜きのダイキリ)だったことは言うまでもない。
ラ・ボデギータ・デル・メディオ ランチとモヒート 
ランチの後、一旦、ホテルに戻り、仕事を終えたKと合流し、タクシーで再びアロマス広場に向かった。Kは広場の古本屋を探し回り、苦労してスペイン語のゲバラ日記を買った。
ハバナの裏通り ハバナの裏通りの中古車
そのあと、町をぶらつき、広場の近くのイタリアンレストランで夕食&ワインを楽しみ良い気分になり、Kと僕はもう一軒行くことになった。

―Kは道路端に座りながらギターの引き語りをしている男と何か話をしていたー

しばらくして、Kは、
「稲田さん、こいつが店を案内してくれるって、連いて行きましょう」
と言って、Kはメインストリートを右におれた細い路地に入っていった

<K、このまま連いていって大丈夫か?暗い路地の片隅でボコボコにされ、身ぐるみ剥がされるのはまっぴらだよ>

僕はマジに心配したが、もちろん、僕にも男の見栄があるから、そんなそぶりを少しも感じさせないようにしたのは言うまでもない。

ほどなくして裏通りのカウンターと小さなテーブルとイスが置いてあるバーに案内された。バーといっても日本の暗い感じのものではなく、道路と店を仕切るドアはなくオープンなもので、テーブルとイスも庭に置くような簡単なものだった。

K、俺、ギター引きの男の順番で、カウンターに並んで腰掛け、キューバ名物のモヒートを注文した。ギター引きの男は、片言の英語を話せたので、僕も片言の英語で話を始めた。言葉と言う奴は妙に不思議で、何となくしゃべりたいことはわかるのだ。
僕はまず、
「Your name?」
「Hose Sebasucyan.Your name?」
「My name is Inada from Hapon」
「Hose、your job?」
「Furniture craftsman」
などと片言の英語で飲みながら話し出した。
その結果、今日の僕の飲み相手は、35歳のホセ・セバスチャンと言う名のテーブルやイスを作っている家具職人らしいことが分かった。

ホセは、カリブの男らしく、店の前の路地からギターを引きながら店に流れ込んだ3人のトリオの音楽に合わせ、体を揺すりながらリズムをとっている。もっとも、僕にはカリブの男って言っても、それが具体的に何なのかはわからないが、まあ、感じってとこで、そう言わせてもらう。

周りを見ると、店のお客達も皆それぞれのリズムで音楽にのっている、Kに至っては、もう、カウンターとテーブルの間の空間で、腰をふりながら踊っている、スペイン人かイアリア人の女の子と話だし、今にも抱き抱えそうな雰囲気だ。

僕は、片言の英語に妙に自信をもち、隣に座っている35歳の家具職人がどんな生活を送っているかについて聞きたくなり、もう一杯モヒートをご馳走しながら、
「How much your income?」
と話かけた。
「Three dollar」
「3 dollar. day?」
「no day, month」

―月に3ドルー
 
この答えに僕は反応できなかった。だって、このモヒートだって1$なのだ。何で月3$なんだ、これじゃ食事もできやしないと思いながら、僕は何回も聞き返したが、やはり、

<給料は月3ドルらしい>

僕は、酒に酔った訳でもないのに頭がグルグルまわり出し、何だか妙な気分になり、ホセに、
「Hose、Your dream ?」
と聞いてみた。ホセは答えた。
「My dream No1、play gutter a big restrant」
「No2 dream、make CD」
「No3 dream、go abroad」
とギターを弾く真似をしながら、何回も繰り返した。
さらに、少し離れた席に座っているキューバ人に目を送り、
「His name Calros. He is  furniture craftsman」
「His dream become a super master of  furniture craftsman」
とホセは説明しながら、モヒートのグラスをカルロスに向け、斜め30度ぐらいに乾杯のポーズをとった。
カルロスもそれに気が付きモヒートを上げ乾杯の姿勢で答えた。

<その時、僕は、なんだか情けない気持ちになっていたことを覚えている>

ホセは僕が奢ったモヒートをうまそうに、大事そうに飲んでいる。やつの給料ではこの1杯1㌦のモヒートは高級で、普通では飲めないしろものだ。友人のカルロスだって、隣に座っている観光客に奢ってもらっているのだ。それなのに、なぜ、彼らの目は輝いているんだ。観光客にたかって飲ましてもらっているモヒートなのに、なぜ、彼らの態度には後ろめたさが微塵もないのだ。彼らが着ているTシャツは着古したくたびれたものだ。

<月給3$、食料配給、Tシャツボロボロのホセたちが人生を楽しんでいるのだ>

サンバのリズム、踊りのステップ音、人々の声が幾重にも交錯しながら空中を絶えず動き続ける中で、僕はその空間の中で必死になって考えている自分を明確に意識していた。その姿は、打ち寄せる波に流されず、かろうじて波打ちに留まっている小石のようだった。

僕はようやく気が付いた。お金の多寡を基準に人間を測り、「金を儲けることの何が悪い」と平気で嘘をつく価値観が日本中を席巻してしまったことを。

―日本には人生の価値を測る物差しは、「金」1つしかないー

おまけに、その物差しは自分が選んだのではなく世間から与えられたものなのだ。

それに対し、彼らの物差しの単位は「金」ではないのだ。2人は、それぞれ、自分の人生の価値を測る物差しを持っているのだ。その物差しの目盛りの単位は自分の夢なのだ。1年後、2年後の夢が、1cm、2cmのような目盛りになっているのだ。2人とも夢の目盛りを持ち、毎日、それに向かって進んでいるのだ。ストリートベースボールの子供達もキューバ代表になるという将来の夢があるからあの笑顔があったのだ。同じキューバ人でも「メリア・ハバナ」のフロント係りや税関の職員が暗いのは夢の物差しがないからなのだ。

<夢をもつことは、政治体制や経済状況とは全く関係がないのだ>

ここまで考えた時に、僕はメチャうれしくなって、
「サンキュー、サンキュー」
と何回もホセの肩を叩き、
「You are my friend、friend」
と叫んでいた。

ホセは僕が急に「ハイ」な気分になった理由がわからず、不思議そうな顔をしていたが、そこは陽気なカリビアンらしく
「Me、too、me、too」
と僕の肩を抱きかかえてくれた。

僕はホセを誘い、Kがダンスをしている女の子の中に飛び込んでいった。僕達は、歌い、踊り、しこたま酒を飲み、貴重なハバナの夜は更けていった。

<帰りのタクシーも絶品だった>

ホセの紹介で彼の友人の白タクに乗ったのだが、その車が全くもって傑作で、昨日、写真をとった56年型のシボレーよりももっとくたびれたやつで、窓をあけようと取っ手を動かせば、窓ガラスがストーンと落ちる、エンジンの音がやたら大きく、Kと話すたびに怒鳴りあい、シートはバネナシのしろもの、車内はガソリンの臭いが充満している強者だった。おまけに、このボロ車を運転しているやつが、大真面目なやつときていたから、酔っていた僕達には最高の車だった。料金は10$、おそらく、紹介者のホセと山分けにするのだろう。そう思うとますますもって嬉しくなった。

Good Luck Hose!
 
 
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