・・・・・その2・・・・・ 
友人と僕は、部屋でしばらく休憩した後、タクシーでハバナ旧市外に向った。各国の大使館が並ぶかなり広い道路を進み、左側にハバナ湾を臨みながら海岸線を東に向かった。右側には、修理中のスペイン風のビルや広場、近代的な高層ホテルなど空港からホテルまでとは異なる風景が通りすぎた。ハバナ湾からの波しぶきが道路にかかり道路と道いく人々をぬらしていた。タクシーは、ハバナ湾から流れこんでいるエントラダ運河のアンダーパスをわたり、モロ要塞に向う道を上り始めた。

モロ要塞は、カリブ海最強の砦といわれ、ハバナ湾のスペイン艦隊防衛のために640年に建設され、大船団を率いるイギリス人の海賊ヘンリー・モーガンの襲撃からハバナの街を守ったと語り継がれている。当時は、このモロ要塞と運河を隔てたプンタ要塞とが太い鎖で繋がり、敵の進入を阻止していたと言われている。
僕は、1人で、モロ要塞の突端に立ち、エントラダ運河に砲身を向けている大砲を触りながら、運河の反対側のハバナビエホの町や新市街地のビル街を飽きもせずに眺めていた。ハバナビエホの町はこの要塞のおかげで、侵略者に破壊されず当時の面影のまま現在に残っているのだ。
モロ要塞からの旧市街の眺め モロ要塞の土産物屋
僕は、昨日訪れたパナマビエホを思い出していた。パナマビエホは、ヘンリー・モーガンの侵略によって、当時の町の様子が全くわからないくらいに徹底的に破壊され、建物の残骸が残っているだけだった。
破壊されたパナマビエホ 
<生き残ったハバナビエホも滅び去ったパナマビエホも、今では同じ観光地になっている>

生き残ったハバナビエホには、今でも多くの人々の生活があるが、滅び去ったパナマビエホには建物の残骸があるだけで、今では、それらの残骸からその時代の人々の生活を想像するしかないのだ。

2500kmも離れた2つの地域で、それぞれの時代に必死で生きた人間たちが、一方は殺され滅び、一方は生き伸びたのだ。この圧倒的に異なる事実が、何世紀後にはともに歴史のひとコマになってしまう。生きることの苦しみや悩みは、大きな時代のうねりからみれば一瞬のことなのだ。そう考えると、目の前にある錆付いた大砲がやけに愛おしくなったことを、今でも、鮮明に覚えている。

歴史をまとめて眺めれば、そこに生きた1人1人の存在は、時間の中に埋もれ誰の目にも残らない。しかし、その歴史の1コマ1コマを拡大してみれば、1人1人が全力で自分の人生を生きてきたことが読み取れるのだ。パナマビエホとハバナビエホは、遠い昔の人々の生活や生き様を語りかけてくれる。それは、あたかも、洗面器いっぱいに張った水の中に青いインクを垂らした時に、その青色がゆっくりとアメ-バー状に拡散するように僕の心に拡がった。

待たせてあったタクシーに乗り、対岸の旧市街地にあるアロマス広場に向かった。アロマス広場は運河に面したプエトロ通りにあり、多くの観光客とキューバ人に溢れ、先ほどのキューバの貧しさとは様相が異なっていた。広場のあちこちに古本屋が店を出しているのだけれど、これらの店は、どれもが自分の家の押入れの中から引っ張りだしてきたような古本を並べた即席の店だった。広場から少し離れた細い路地は、屋台の雑貨店や土産物店が所狭しと並び、観光客でごったがいしていた。
アロマス広場の古本屋 広場のカテドラル
アロマス広場の南側の市街地にはスペイン風の建物が並び、まさに17世紀のころの植民地時代にタイムスリップしたかのようで、今にも、通りに面した2階の窓から、気の置けない娘達が洗濯物を干しに顔を出しそうな雰囲気だった。修理中の建物もいくつかあるが、そのほとんどは、空港からホテルに来る途中で見えた修理放置中の寂れた建物ではなく、まさに修理中であり、この町は確かに息をしていることが確認できた。

市街地の中には広場がいくつかあり、その中の一つの広場には、左右2つの塔にはさまれたバロックスタイルの大きなカテドラルがあり、そのカテドラルを囲むようにスペイン風の民家が立っていた。友人のKと僕は何のためらいもなく17世紀の古きよき時代の中に吸い込まれていった。
  
売れない作家の僕は、ハバナに行くと決まったときから、ヘミングウェイーが1930年代に定宿にしていたハバナ旧市街のオビスポ通りにあるホテル「アンボス・ムンドス」に行きたいと思っていた。ヘミングウェイーはこのホテルで「誰がために鐘は鳴る」などを執筆したと言われている。ヘミングウェイーが滞在していた511号室は現在、小さな博物館になっていて、中に机とタイプライター、愛艇のピラール号の模型が飾ってあった。部屋は思った以上にシンプルな部屋で、机は窓の外に向けて置かれていた。机の前の窓のすぐ下は旧スペイン総督官邸で、ヘミングウェーはこの机の前に立ちながらタイプライターをうち数々の名作を書いたと言われている。
ヘミングウェイーのタイプライター ピラール号の模型
「アンボス・ムンドス」を出て細い路地道を歩いていると軽快なカリブの音楽が流れている店の前を通った。Kと僕は、何のためらいもなく、この店に入りテーブルに座わりビールを注文した。この店は南国の観葉植物が店のあちこちに置かれ、シダ類と思われる小物の鉢が天井から吊るされ、ギターやドラムやフルートを持った男3人と女2人のバンドが陽気なリズムをきざんでいた。店のお客もこの曲にあわせ、体全体を揺らしていた。カリブのイメージそのものだった。
Kはマルボロに火をつけ美味そうに一服し、ビールを運んできたボーイとさっそくしゃべりだした。WBCの話でボーイと盛り上がっているらしい。キューバ人は空港から乗ったタクシーの運ちゃんもそうだったように野球大好き人間らしい。
野球の話が聞こえたらしく、バンドマンも途中から話に加わり、
「ハポン、ハポン、no1。ハポン、ハポン、no1」
と言いながら踊りだした。Kも僕も、バンドマンにビールをご馳走し、
「キューバ、キューバ、no1。キューバ、キューバ、no1」
と答え、1本目のビールを空中に差しだし、一気に飲み干した。
キューバと日本の応援合戦が始まった。アッという間に、他のお客もこの掛け合いに加わり、
「ハポン、ハポン、ラーラーラー、キューバ、キューバ、ラーラーラ」
と言いながら踊りだした。
もちろん、僕も、何が何だかわからなかったけれども、ビールを片手にこの踊りに加わった。僕のこれまでの人生でこんな陽気な経験はなかったけど、なぜだか「メチャ」そうしたかった。
Kと僕は、ビールと「ハポン、ハポン、ラーラーラー」ですっかり良い気分になり、再び、旧市街地へと歩きだした。

<アロマス広場の方で、軽快なサンバの音が流れてきた>

その方向に目をやると、赤や黄色や紫の衣装と髪飾りの男女の集団がいた。ドラムが奏でるサンバのリズムに合わせ、広場の中を手をつなぎ踊りながら行進しているのだ。集団の中には何人か異常に大きな人間がいた。注意深くみると、これらの連中は、1人が1mほどの高下駄のようなものを足につけ、もう1人が高下駄をつけた人間の肩にのっているのだ。さらに、山高帽のような帽子をかぶっているものだから異常に背が高い。一見、不安定のように見えるのだが、彼らは音楽に合わせ軽快に踊っている。曲のリズムといいい、衣装の形、色、雰囲気はまさにカリブそのものだった。
アロマス広場の巨人たち アロマス広場の賑わい
この町並みの中に立っている僕は、わずか4日前にアメ横に立っていた僕とは全くの別人のように思えた。
その日の夕食は、Kが調べたレストランでキューバ風鶏肉料理を食べた。
 
 
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