2020年の晩秋だった。奈良に4泊する機会があった。その時は、東大寺、興福寺、長谷寺、法隆寺、浄瑠璃時、岩船寺や高松塚、石舞台など飛鳥の寺廻三昧の日々を送った。コロナ禍の緊急事態宣言の外出自粛の中で、その時に訪れた寺々で感じたことを、エッセイ風に綴ることにした。

1日目は、東京駅を早めの新幹線に乗り京都に行き、京都から奈良線に乗り換え、宿泊先の奈良ホテルに荷物を預け、荒池の横を通り東大寺に向かった。東大寺では、南大門から入り、東大寺ミュージムで国宝の日光・月光菩薩立像などを見て、大仏殿、2月堂、3月堂と戒壇院を回り興福寺へ移動した。興福寺では東金堂で薬師如来像、文殊菩薩座像、国宝館で釈迦如来像、金剛力士像仏像を見て5重塔、南円堂、北円堂、3重塔をみて、3条通りにおりて猿沢の池に出た。

<この池から興福寺の五重塔を眺めるのが古代からの慣習らしい>

午後から2つの寺を歩き回り、少し疲れていたので、池のホトリにあったスターバックスでコーヒーを飲んだ。スタバからは、猿沢の池を挟んで興福寺の5重塔が見えた。奈良時代の人々が池の畔に座り眺めた景色と、今、私が眺めている景色は違っていたのだろうか?奈良時代の人々は、この池のほとりで何を思ったのだろうか?

興福寺は669年に創建された山階寺から始まる藤原氏の氏寺であり、東大寺は聖武天皇が743年に紫香楽宮で大仏建立の詔を発したのが始まりと言われている。しかし、藤原氏の『仏教は天皇や貴族のためにあり、全国に国分寺と国分尼寺を建立する』とした仏教観と『仏教は庶民のためにあり、国家の安定のために大仏を建立する』とした聖武天皇の仏教観はかなり異なっていた。この両者の違いの妥協点が東大寺だったのである。
当時、聖武天皇の后の光明皇后(藤原不比等の娘)は、父の邸だった場所に七堂伽藍を建立し法華寺とし、父の不比等の意思を実現するために法華寺を総国分尼寺としたのである。一方、聖武天皇も、大仏建立の場所を紫香楽宮から東大寺に移し、藤原氏の考えを受け入れ東大寺を総国分寺としたのである。

―私はコーヒーを飲みながら、藤原氏と聖武天皇の微妙な関係について考えていたー

聖武天皇は、文武天皇の第一皇子(首皇子)であったが、文武天皇が崩御された時にはわずか7歳であった。聖武天皇の母は、藤原不比等の娘の宮子であり、首皇子が若かったために、天武天皇の孫で皇孫として嫡流の長屋王が皇位継承者として浮上してきた。首皇子を後継者にしたい藤原氏は長屋王を何としても排除したかった。
藤原不比等が62歳で亡くなった4年後の724年、立太子になっていた首皇子が24歳で聖武天皇として即位した。しかし、聖武天皇が即位した初期は、天皇に政務経験がなかったために、皇親勢力を代表する長屋王が政権を担当し政務を進めていた。藤原氏は、長屋王を中心とした皇親政治を認める訳にはいかなかった。認めることは、藤原氏の没落に繋がるからだ。729年、不比等の息子である藤原四兄弟は結託して長屋王を自殺させ、四兄弟は、妹で聖武天皇の夫人であった光明子を皇后に立て藤原四子政権を樹立した。

私はコーヒーを飲み終え、顔をあげ、猿沢の池を見た。興福寺の5重塔の後ろに大仏殿が見えたような気がした。スマホの地図で確認すると、方向的に5重塔の後ろには東大寺があり、当時は、5重塔から大仏殿が見えたはずである。

<東大寺の大仏や日光・月光菩薩立像や興福寺東金堂の日光・月光菩薩立像を作った仏師たちは、長屋王・皇親勢力と聖武天皇・藤原氏との悲惨な権力闘争を知っていたのに違いなかった>

―私は、目を閉じて、今日、見てきたこれらの日光・月光菩薩の表情を思いだしていたー

東大寺と興福寺の日光・月光菩薩立像は、この世に生を受けた全ての人々を包み込むような、柔和な表情をしていた。この柔らかな表情は、『仏像を作った仏師達は、長屋王も聖武天皇も藤原氏も関係がないことを人々に伝えている』に違いない。仏像つくりを任された仏師たちは、この菩薩に手をあわせる事により、この時代に住んでいる貧しい人々が極楽に行けることを願ったのに違いない。仏師たちは、あらゆる技術と生命を込め、寝食も忘れ、これらの菩薩を作ったのだ。その柔らかな心が菩薩の表情に表れているのだ。心が落ちつき何でも許してくれそうな表情の中に、依頼人の貴族や天皇だけではなく、当時は、仏像を拝むことさえ許されていなかった庶民のために菩薩を彫った仏師たちの気持ちが見えたと、私は思った。

このように考えると、何時の時代にも存在する権力闘争を超えたところに、奈良の寺々の仏像が存在し、その仏像の中に仏師の気持ちが表れているのだ。だからこそ、仏像は、時空をこえた現在も、おそらく、未来も、多くの庶民に心の落ち着きと自分自身の心の中に、自らを戒め、自らを世俗から一瞬でも離れ、極楽浄土の時空へと旅たつ気持ちにさせてくれるのだ。

私は、短い時間の中で、駆け足で多くの仏像をみて回ることは、仏像とそれを作った仏師に失礼だと思い始めていた。

―仏像を見るとは、心を落ち着かせ、ゆったりとした心持で、
  仏像の語りかける言葉が胸の奥に沁み込むまで、じっくりと眺めることだー

と私は思った。

 
猿沢池
 
 
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