昨年の冬、何年も会っていない友人に会うために会津坂下に出かけた。東京での仕事を終え、昼過ぎの新幹線で郡山に向かった。郡山駅で磐梯西線に乗り換え会津若松へ、そこで、只見線に乗り換え会津坂下に向かった。只見線に乗ったのは初めての経験だった。以前、何回か会津に行ったことはあったが、その時は夏だったので、青々とした緑が幾重にも連なった田圃の風景を覚えている。今回は真冬だった。只見線の窓から見える景色は、夏とは全く異なっていた。誰も歩いていない田舎道と冬枯れの田圃が点在する風景が続いていた。友人のIとの電話では、今年は、雪が降らず、道路には雪はないとのことだったが、2日前の大雪で山裾の田圃に雪が薄く積もっていて、その雪が冬枯れの風景を、より侘しくしていた。

改札口を出た所にIは居た。私は軽く右手をあげ「ヤッ」と声をかけ、土産の饅頭をIに渡し、車に乗り込んだ。私は運転をしているIに、「道路がアイスバーンみたいで凍っているな」と言った。道路に雪が積もり圧雪状態の時は、車はスリップしないが、氷が薄く膜のように張ったときが危険なことを、札幌に住んだことがある私は知っていた。Iは、地元で地域おこしを仲間とやっている。その地域おこしは、地元の酒屋、酒蔵、味噌や、乳業メーカー、蕎麦屋などが一緒になり、会津の食文化を全国に発信しようとするものだ。今回訪ねたのは、そんな仲間と地域おこしについての意見交換も目的の一つだった。アイスバーンで黒く光った道をゆっくり進み居酒屋に入った。

居酒屋には、Iの先輩で私も顔見知りの友人Oが居た。3人はビールで乾杯した。テーブルには、会津名物の「馬刺し」、「ニシンの山椒付け」、「こづゆ」などが並んでいた。坂下ではスーパーなどで「馬刺し」が普通に売られ、遠方の客が訪れた時に振る舞う習慣がある。坂下の「馬刺し」は、熊本の馬刺しと異なり、脂身のない赤身の肉が好まれ、これに特製のニンニクを擂り下ろした味噌ダレを醤油に溶かし食べるのが一般的だ。

「馬肉」が会津で食べられるようになったのは、1868年の戊辰戦争の時からで、戦いで傷ついた会津藩士の体力を回復させるために食したのが始まりらしい。しかし、「馬肉」を食べる習慣があるのは、同じ福島県でも会津地域だけで、相馬野馬追で有名な相馬地域においては、馬は神と崇められ、「馬を食べる」などは、「神への冒瀆」と考えられている。「ニシンの山椒漬け」は、江戸時代に冬を乗り切るための重要なタンパク源であった。会津地域には海がなく、冬は深い雪に閉ざされているために、北前船で運ばれてきた脂身の多い身欠きニシンを山椒の葉とともに漬け込んだものを保存食としていたのだ。「こづゆ」も、また、海のない会津の風土を映した郷土料理である。ホタテの貝柱を水で戻しダシを取り、これに、サトイモ、ニンジン、しらたき、竹の子、わらび、キノコなどを具材としていれ、しょう油と塩で味を調えた汁物で、「ハレ」の日には必ず用意される。

こう書いてみると、会津の郷土食には、この地域の風土と歴史が色濃く映されていることが分かる。戊辰戦争で官軍と称した薩長に猛然と戦いを挑み、最後まで屈服せず、戦い・散っていった会津藩士の亡骸は、明治維新後、何年も打ち捨てられたまま放置されていたと言う。この歴史の哀れさが、会津の郷土食と空気を独特なものにしているのかも知れない。

酒は地元の曙酒造のものだ。この酒蔵は、私が10年以上前に飲んだ「みどり」という純米酒の蔵元だった。その「みどり」は、今は作られていない。

<時は人が知らないうちにひっそりと流れるらしい>

地域の先輩と後輩は、一杯の酒で、自然とコラボする。
「息子が農業の勉強をしたいので、東京の農業関連の大学に進学することになった」
「先輩、息子さんは卒業したらきっと、地元に戻り農業をやる気持ちがあるのですよ。良かったですね」
「卒業しても会津には帰らないかもしれないよ」
「帰ってもらわないと、我々も困るんです」  

永田町や霞が関に住む人間は地方再生などと声高に喚いているが、地方はそれどころではない。会津地域も例外ではなく、高校を卒業した若者は都会に進学・就職して、会津には戻らない。この流れでは、近い将来、会津の郷土料理である「馬刺し」、「ニシンの山椒付け」、「こづゆ」などの会津の食文化は消滅してしまうのではないか?

<そんな事を昔の仲間と語りながら時間は過ぎて行った>

本音を言えば坂下町に泊まりたかったのだが、翌日の福島市での仕事の事を考え、その日の最終の只見線で会津若松に戻った。最終列車は、暗い闇の中を線路の継ぎ目に合わせ、「ガッタン」、「ガッタン」と同じリズムをきざみながら進む。やがて、そのリズムが、「ガッターン」、「ガッターン」とゆっくりとなり、列車は止まる。降りる人も乗る人もいない。そのリズムとパターンを何回か繰り返し、列車は終着駅の会津若松駅に着いた。

駅前には雪はなかった。酔い覚めかのせいか頬にあたる風がやけに冷たい。歩道はすでに凍っていた。私は歩幅を小さくしながら慎重にホテルに向かった。ホテルに着いた時に「ホッ」とした、と同時に、コンビニで「水」を買うのを忘れていた事に気がついた。

私は、フロントの女性に、
「近くにコンビニはありますか」
と聞いた。その女性は、
「セブン・イレブンがあります」
とニコッと答え、
「お客様、会津で美味しいものを食べましたか?」
と笑顔で聞いてきた。
その横顔は「会津美人」という女性がいれば、まさに、この女性だと思わせるほどの色白の美人だった。私は、
「友人のいる坂下町で、「馬刺し」と「ニシンの山椒漬」、「イカニンジン」、「高田梅を眩したお握り」、それに「こづゆ」を食べた。美味しかったヨ」
と、少しドギマギしながら答えた。
フロントの女性は、私の顔を真っ直ぐに見て、
「会津の郷土料理、気に入って下さり、ありがとうございます」
と軽く頭を下げ、
「ロビーを右に曲がり真っ直ぐいくと自動ドアがあるので、そのドアを出ると斜め前がセブン・イレブンです」
と手で示しながら教えてくれた。

私は、何故かよく分からなかったが、ホットすると同時に目頭が熱くなった。
 
創業明治元年 会津の米蔵とくいち
 
 
 
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