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毎年、冬の時期は、仕事を理由に1週間ほど沖縄に滞在することが年中行事の一つとなっている。今年の1月は、鹿児島に住む若い友人夫婦から連絡が来て那覇で落ち合うことになった。那覇には泡盛の蔵元の若い友人夫妻もいるので、皆で久しぶりに会うことになり、首里城近くの沖縄料理屋に集合した。2夫婦とも子供連れだった。彼らと最初に会ったのは15年近く前で、その時は2人とも、まだ、東京の大学生だった。 <時が経つのは早いものだ> 食事の後は、2人の友人の奥さんの許可を得て、3人で国際通りの裏通りにあるバーに繰り出した。私はジャックダニエルのロックをダブルで飲んだ。友人たちはスコッチの水割りとジンベースのカクテルを飲んでいる。2人とも、15年前と比べ、人生の波形について語りあえる年齢になっていた。 <事がうまく進まない時はある。答えを急ぐな。正しいことは時と共に変わるものだ> 年上の私は、酔いの流れにまかせ語った。 翌日は、慶呂間諸島の座間味村に行く予定だったが、風が強く、フェーリ-が欠航になったので、急遽、予定を変更し、9時過ぎの高速バスで名護に向かった。なぜ、名護にしたのか明確な理由はない、旅には理由などいらない時があるのだ。約2時間で名護に着いた。 バス停近くの「宮里ソバ」で昼食の沖縄ソバを食べ、朝、予約した「白浜ホテル」と言う地元で50年のホテルに向かった。ホテルは、沖縄らしくなく、女将も不思議な感じの人だった。女将は、「チェックインは15時だが、チェックインをせず、ロビーで原稿を書いているならアーリ・チェックインの1000円はいらない」と言ってくれたが、私は、アーリ・チェックインをし、暫く、ホテルの部屋でこの原稿を書き、その後、浜辺や町を散策した。 <このホテルは夕食がつかないので、夕方、私は、昼に散歩した時にマークしていた居酒屋に向かった> 6時過ぎお店にはいり、「まさひろ」を注文した。置いていないとの事だったので、「海人(うみんちゅ)」はあるか?と聞いたら「ある」との事だった。 私は、4合瓶だと多いから、まずは、1合でと「海人」を注文した。 「お客さん、大和んちゅんなのに、まさひろ酒造、良く知っているネ」 と沖縄人特有の親しさで聞いてきた。私は、ゴーヤチャンプルを食べながら、 「まさひろ酒造の息子は、友達なんだ」 「友達?」 「うん、15年前から、彼が、大学生の時に、東京で知り合った」 「フーン、東京でね。自分たちも東京にいたんだ」 「東京のどこ?」 「東京の染井ってとこに2人で住んでいたヨ」 「染井?それって駒込だよな」 「そうだ。お客さんよく知っているね」 「俺の家はその近くなんだ」 <染井の地名は東京人もあまり知らない。その地名を、遠い南の島の小さな店の大将が知っているとは?偶然って、本当にあるのだ> 私と大将と女将は、この偶然に驚き、話が盛り上がった。聞けば、大将は学校を卒業して集団就職で東京のすし屋に見習いに入り頑張っていたが、子供ができたので、ゴミゴミした都会で子供を育てるより、沖縄で育てたいと思い、「まあ、何とかなるさって」って感じで、故郷の今帰仁に戻ったのだった。 「白浜ホテルに泊まっている」 と、私が言ったら、 「ウチの店に良く来るヤンバルイノシシの研究をしている東京の大学の先生も白浜ホテルに泊まっていたサ。確か、来月も来るサ」 「フーン、同じホテルだ。その先生の名前は?」 「母さん、あの先生の名前、何て言うだっけ?」 「覚えてないサ」 と母さんは答えた。 (ホテルに戻り、知り合いの大学の先生に、ヤンバルイノシシの研究をしている先生を知っているかと確認したところ、おそらく、その先生は、私も知っている某大のK教授ではないかとの事だった) そんなわけで、話が盛り上がり、店を出るわけにはいかず、「シャコ貝」、「三枚豚の味噌いため」などを注文し、「海人」も結局、3合飲んでしまった。おまけに、大将が、石垣の幻の銘酒「宮乃鶴」をロックでサービスしてくれたのだった。 この「宮乃鶴」の並々のロックは、2年前の出来事を思いださせた。2年前、那覇のフェリー乗り場の近くの居酒屋で、お店のお姉さんが、これサービスだよと言って、「海人」を並々にいれたロックグラスを出してくれた事を思い出したのだ。その時、私は、既にかなりの「泡盛」を飲んでいたので、この「海人」を飲み干すのが、かなりきつかったことを覚えている。 <みなさん、沖縄の居酒屋で仲良くなると、最後に、並々の「泡盛」をサービスしてくれるから注意してください> 最後に、店を出るときに、 「明日、まさひろ酒造のかみさんと会うよ」 と言ったら、 「SKと言う女性社員が、昔、営業で良く店に来ていたサ。その女の子がとてもよい子だったから、店に「まさひろ酒造」の泡盛を置いたのサ。明日、まさひろ酒造に会ったらSKによろしくと伝えてくれ」 との事だった。 時計をみたら、10時になっていた。4時間近く飲んでいたので、その日は、シャワーを浴び、静かにベットに潜りこんだ。 翌朝、じゃがいもとほうれん草を濾したスープ、フレンチトースト、野菜と半熟タマゴのポロネーズ、ソーセージ、そして、デザートの手作り朝食を食べながら、例の不思議な女将さんに、 「ヤンバルイノシシの調査に東京の大学の先生がこのホテルに泊まるの?」 と聞いたところ、 「はい、良く来て泊まります」 との事、私は、 「その先生って、まさか、某大のK教授って人?」 と言った。女将さんは、 「そうですけど、お客さん、K教授を知っているの?」 と、不思議そうな顔をして私を見た。 「エッー、マア」とだけ私は答えた。 <南の島の小さなホテルに知り合いが泊まっていたとは?偶然って、本当にあるのだ> 13時に那覇の宿泊先のホテルに「まさひろ酒造」の奥さんが迎えに来て、ランチを一緒に食べることになっていたので、朝食後、名護市の大銀杏を見学し、10時過ぎの恩納村経由の高速バスで那覇に向かった。車窓から、沖縄独特の青い海が見えた。 ランチは、那覇空港に近い瀬長島のイタリアンレストランに行くことに決めていた。この店は、昨年の初夏に、原稿書きで那覇に滞在していた時に、仕事で那覇に来ていた後輩の友人と合流し、2人で来たイタリアンだった。 ワインを飲みながら、私は友人の奥さんに、 「S、君の会社にSKと言う女性社員いる?」 と聞いてみた。 「稲田先生、確かに、SKと言う女性社員はいますけど?」 と怪訝な表情で聞き返してきた。 私は、昨晩の名護市の出来事を簡単に報告した。そしたら、Sは 「偶然ってあるのですね?」 と驚いた顔で言った。私は、 「ウン、偶然って、本当にある。特に、沖縄は偶然の宝庫だよ」 と言って、頷いた。 「沖縄は偶然の宝庫ですか?」 と、Sは怪訝そうな顔で私を見ながら言った。 「沖縄は、間違いなく、偶然の宝庫だ」 と、私は大きな声で言って、ワインを飲み干した。 <窓の外には、沖縄特有の青い海が広がっていた> |
まさひろ酒造 |
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