2020年2月25日、真夜中、リオのカ-ニバル会場にいる。友人のIから、「ブラジルに駐在していた友人のNが、リオのカーニバルを見に行くから行かないか?」と誘われ、アトランタ経由でブラジルに入った。
当日、カーニバル会場でNとその友人のAと合流することになっていたので、宿泊先のシェラトンホテルからカーニバル会場行きの専用バスに乗り、会場に向かった。カーニバルは、一般道路ではなく専用会場で行われる。1時間程度で会場に着きバスを降りた。人、また、人で溢れていた。パレード会場と思しき方向から、何本もの光が夜空にまっすぐ伸び、2拍子のサンバリズムが大音量で流れている。
指定されたチケットの番号を確認しながら、コンクリートの階段を昇りきり、頭を上げた。突然、反対側の1階の立ち見席で派手な衣装をまとった男女が、サンバのリズムを足で刻み踊っている姿が目に飛び込んできた、と、同時に、周りの観客も、皆、同じリズムで踊っていた。
少し、冷静になり、会場を見回すと、既にパレードが始まっている。3階、4階と分かれている山車の舞台で、何人もの踊り子がバーを握り、両足で交互にサンバのリズムを刻んでいる。その後ろには、横一列に並んだ男女が、何列も同じリズムで手を上げ踊っている。パレードは、まるで、何層もの波が、白い浜辺に向かい、ヒタヒタと押し寄せているようだった。大音量で流れるサンバの曲は、リズムと手と足と踊りが一体となっている。体中でリズムを取る人、足でリズムを刻む人、リズムに合わせ手を上げる人、通路に出て踊りだす人、会場全体がサンバのリズムと一体になっているのだ。

この音楽は、バトゥカーダと言われ、主にメロディーや歌のない打楽器のみのダンス音楽で、「歌いながら、踊りながら、歩くことが可能なリズム」になっている。元々、サンバは、19世紀の終わりごろ、ブラジル東部の港町サルバドールで生まれた音楽だ。当時のサルバドールは、アフリカから奴隷として連れて来られた黒人の町だった。奴隷と言う「商品」として売られた黒人たちの唯一の楽しみは「歌う」事だった。「歌う」事のみが、西洋諸国の植民地化に対抗する細やかな抵抗だったのだ。

リオのカーニバルパレードはチームコンテストになっている。毎年、優勝チームが決まり、優勝賞金は5億円と言われている。サンバチームは、ブラジルでは「サンバ学校」と呼ばれ、成績ごとの「リーグ」に所属し、このパレードに参加しているチームは、エスコーラと呼ばれる最上位リーグに所属し、1年間かけて準備し、衣装、山車、装飾に大金をつぎ込む。パレードが終わると、来年のパレードの準備を始める。各チームがパレードできるのは、80分だけで、その1回80分の中で、1年分の時間と労力と金を放出する。

<このわずか80分のパレードで、すべてが夢のごとく消える>

そんな刹那的なところも、リオのカーニバルの”魅力”の一つなのだ。
ブラジルには、サンバが人生の一部になり、損得などは度外視にして、身体と心の髄にサンバが沁みこんでいるような人がいるらしい。サンバチームに入り、一年中働いて、このパレードに金を出し参加する人々、年に一度のパレードを桟敷席で見ることを楽しみにしている人など、さまざまな人間がいる。

ふと気が付くと、日系人とも思われる老人が、体を大きく手すりから出し、必死にデジカメをパレードに向けている。その動きに気づいた会場整理係は、老人の姿勢が危険だと思ったのか、老人に向かい何か言っている。しかし、その言葉には威圧感がない、言っている整理係本人も、体でリズムを取っているのだから・・・・・
老人は、整理係の声を無視しデジカメをとり続け、なんと、整理係に自分をパレードの中に入れた写真をとるように頼んでいる。その姿は、明らに、他の観客のジャマをしているのだが、その老人は、観客の反応などには、まったく意に返さず、自分の世界に入りきっているのだ。

80分のパレードが終わると次のパレードのために掃除用の車が出てコースの掃除がはじまる。清掃車の後ろには、横一列に並んだ清掃員が、何列も続き、それぞれが、箒とモップを持ち路面を掃除する。その姿も、まるで、パレードの一つのようだ。掃除人も、会場に流れるサンバの音楽に会わせ、リズムを取りながら、箒とモップを動かしているのだ。その中の一人は、ブラジルらしく、サーカーボールでリフティングをやりながらリズムをとり踊りながら箒を動かしている。驚いた事に、そのリフティング男は、私の前を通過したあとも、清掃の進み具合に合わせ、前へ前とへ進んでいく。その動きに合わせ、観客も拍手喝采なのだ。

私は、リオのカーニバルの本質を見た気がした。西洋諸国の植民地化への抵抗で始まったサルバドールの奴隷たちの「歌」が、100年の時を経て、リオのカーニバルに繋がり、人々は、そのエネルギーを、自分の人生に置き換えているのだ。手すりから大きく体を乗り出し、必死にデジカメでパレードを撮影している老人、リフティングしながら掃除をしている若者は、1年に1度のカーニバルを楽しみに、毎日毎日を、必死に生きてきた人たちに違いないのだ。
 
Sheraton Grand Rio Hotel & Resort
 
 
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