昨年の2月友人たちとベトナムに行った。

去年の夏の恒例の飲み会で長老と呼んでいる年上の友人がベトナム戦争の激戦地だったダナンを見たいとの希望が発端だった。
この長老は私の人生の師匠だったので、私は喜んでベトナム行の手配をした。
ダナンは、1968年の旧正月に、北ベトナム解放民族戦線がダナン駐留米軍に大攻勢をかけたテト攻勢の激戦地の一つであり、この戦いからベトナム戦争は泥沼に入っていった。

ベトナム第3の都市であるダナンは、程よい都会の音色の中で確かに存在し、その一方で生活の匂いが残っていた。
夕食に入ったレストランでは、家族と思われるベトナム人のグループが鍋料理をつつき、サイゴンビールを飲み、語りあっている。
旧正月のなごりであろうか。日本でも、正月には、都会から里帰りをした兄弟、親せきたちが、本家に集まり、1年ぶりの再開を楽しんでいた景色が思いだされた。

ベトナムには縁があり10回近く訪ねている。
最初に来たのは、確か、25年前になるが、ホーチミンのドンコイ通りに貧しい子供達が道端にたむろしていた姿を思いだす。経済が成長すると、街並みも暮らしも人々の服装も一定の方向に収斂し、ある到達点にくると、人間関係の底流を流れるリレーショナルな関係が希薄になってくる。

この流れの中で、隣のベトナムの家族は、鍋から上がる湯気と独特の香辛料の匂いの中で、日本では失われつつある家族との語らいを当然のように営んでいる。ベトナムの風景と社会に混じり合った文化が、私たち日本人と同じ空間を漂い、同化しようとしているのだ。

<その国の人々の生活感と同化しなければ、旅に出た意味がない>

夕食の帰りに長老たちと別れ、1人で、ホテルの近くのバーに入り、ネップモイと言うベトナムの焼酎をやった。
このコメの味のする強いお酒は、口にいれると、ほのかな甘い鼻に抜ける独特の芳香があり、この香りが「自分はベトナムに居る」ことを、肌感覚で実感させてくれるのだ。2杯目のネップモイを飲んでいる。

程よく酔った私は、10年前に訪れたカンボジア国境から数km離れたバーチュというムラでの経験の中を漂い始めていた。
このムラは、1978年にカンボジアのポル・ポト軍に攻められ、わずか13日で3537人の老若男女が虐殺されたところだった。
ポル・ポト軍は殺戮の限りをつくし、男性は、もちろん、子供も女性も、兵士に両脇を抑えられ、ムラの中心にある池の周りに引き出され、「首」を切落とされた。池は村人たちの「首」で隙間がないほどに埋まった。その池の隣には「慰霊塔」が建てられ、その慰霊塔の中には、数え切れないほどの「シャレコウベ」が葬られていた。

その情景が、酔った頭の中に浮かぶと同時に、ゆっくりとハンモックにゆられている女性の姿が目の前に現れ、その姿が、瞬く間に大きくなった。
この女性は、当時17歳で、殺戮のあった日に山の中に逃げ込み、生き残った数少ないムラ人の1人だった。48歳になった彼女は、両親、兄弟はもちろん親類縁者がすべて殺され、彼女1人だけが残されたのだ。ゆっくりとハンモックにゆられている彼女の姿をみると、彼女が着ているピンク色のアオザイがくっきりと風景の中に浮かびあがり、その周りには「善」も「悪」も超越した、私たちには近づけない尊厳の空間があるような気がした。

<その空間には、殺戮の歴史をジーッと見てきた水田も木々たちも、何事もなかったようにそこに存在していた>

ホテルに戻り、ネップモイの酔いを醒ますために部屋のベランダにでて、煙草に火をつけた。
心地よい風が吹いていた。左側にはハン川が流れ、ハン川に架かる橋は、赤や黄色や青色のネオンサインが定期的に色を刻んでいた。

その点滅を眺めていると、私は、なぜか、サイモンとガーファンクルの「The Sound of  Silence」の
And the people bowed and prayed.
 To the neon god they made
And the sign flashed out its warning.
And the words that it was forming.
を口ずさんでいた。

<突然、バーチュ村のハンモックにゆられているピンク色のアオザイの女性の姿がクリークの中に映った>

それと同時に、
And the sign said.
”the words was the prophets are written on the subway wall and the tenement halls”
And whispered in the sound of silence
の歌詞が、静寂の中から聞こえてきた・・・・・・

翌朝、朝食のときにフォーを食べながら、前に座っている長老に、昨日のベランダから見たハン川のネオンの経験を話した。

長老は、
「そうですか。稲田さん、良い経験をしましたね。突然、サイモンとガーファンクルのThe Sound of Silence の 最後のAnd whispered in the sound of silenceが聞こえたのですか・・・・」
と大きく頷き、暫くして、
「両手を叩く音は誰でも知っている。では、片手で叩く音は?  稲田さん、この言葉知っていますか?」
と聞いてきた。
私は、
「片手で叩く音?」
と聞き返した。
長老は、
「禅ですよ、臨済宗白隠禅師の言葉ですよ」
と短く答えた。
 
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