進まぬ原稿を抱え気分が落ち込んでいたので谷根千を歩いた。
仕事場が「よみせ通り」の近くにあるので、友人が来た時には谷根千界隈を案内し、裏通りにある小料理屋で一杯やるのが慣例となっている。この地区は、戦災に焼かれず下町の風情が残っている所で、「谷中」「根津」「千駄木」の頭文字をつなぎ『谷根千』と呼ばれている。

千駄木駅の近くにある鴎外記念館に行き鴎外の書簡などを見たのだが、視力が衰えているのか案内の説明を読むと妙に疲れてきて、早めに近くの寿司屋に入った。
この店は、穴子寿司が有名で、昼時は混み合うが、今日は、少し時間がずれていたので、幸いカウンターの席が空いていた。
燗酒とゲソのつまみを注文して、チビリ・チビリとやりだした。

カウンターの隣の席に座っている老夫婦が、
「よくこの店にくるのですか」
と遠慮がちに聞いてきた。

「仕事場に近いのでたまに昼飯を食べにきます」
と私は答えた。老夫婦は、

「そうですか」
と大きく頷き、大事そうに寿司を口に運んだ。

隣の老夫婦とカウンターの中の大将との話が聞こえてきた。
老夫婦は、昭和の中頃から、この街にすんでおり、この店に良く食べにきていたとのことで、その味が懐かしく、田舎に引き込んだ今も、年に4回この店に来ているらしい。

穴子を何貫かつまんでいたら、老夫婦は席をたち、
「また、来年の2月ころにきます」
と店主に言って店をでた。その時に、老夫婦は私に向かい、軽く会釈した。
私は、その会釈に一瞬驚き、慌て、頭を下げた。
少し微笑んだ老夫婦の顔には、名誉や地位や金には縁はないが、一生懸命に人生を生き抜いてきた何とも言えない味があった。

少しほてった顔を覚ますために、店をでて団子坂を左におれ根津神社に向かった。
久しぶりにお賽銭をあげ、柏手を打ち神妙に参拝した。少し休もうかと思い、唐殿を出たところにあるベンチに目をやった。見覚えのある洋服が目に入ったので、よく見ると、先程の寿司屋で先に出た老夫婦だった。

私は、
「また、お会いしましたね」
と言葉をかけた。老夫婦は、やや驚いたようであったが、私に気づき、
「あなたもお参りですか」
と言った。
私は、
「ハイ」
と答え、老夫婦の横のベンチに腰掛けた。
老夫婦の話によると彼らの娘は、根津神社で結婚式を挙げ、孫ができたので、娘達家族の安全をお願いにきたと言って、家内安全のお守りを見せてくれた。

老夫婦と別れ、谷中界隈の裏路地をぶらつきながら酔を冷まし、千駄木の行きつけの小料理屋に入った。
数年前に「よみせ通り」の裏通りを歩いていた時に偶然飛び込んだ店だった。

時間が早かったせいか、客がいなかったので、いつものカウンターの端に座り、根津神社で会った老夫婦のことをアルバイトの女の子に向かって話しかけた。
アルバイトの女の子は、高校を卒業し、鳥取から上京して、今、介護の大学に通っている。彼女は、静かに頷いて話を聞いていた。
しばらくするとお客が何人か入ってきて料理を注文した。
大将は手際よく料理の準備を始めた。私は、サメの軟骨と梅肉を和えた「梅水晶」をアテに燗酒をゆっくりとやっていた。

心地良い酔いは、あの老夫婦が根津神社のお守りを娘と孫に渡している状況を一枚の写真として頭の中に描き出していた。
酔と言うものは便利なもので、自分のイメージを勝手に創りあげてくれる。イメージの中の写真は、普通の家族の幸せを表しているようだった。
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 突然、私の名前を呼ぶ声がした。
「稲田さん、このお守り、私が上京する時に、母親が出雲大社で買って持たせてくれたの」
と赤いお守りを見せながら女の子が言った。私はそのお守りを手の平にのせた。
私が育った時代には、娘や息子が受験や進学や就職で親元を離れる時に、多くの親は地元の神社でお守りを買って持たせてくれるのが一般的であった。

日本人は、中世の時代から神仏混合で、最終的には天道に祈るとの慣習があったらしい。
例えば、「法要の威力」を信じる上杉謙信、「念仏、太陽、月、厳島神社」を信仰する毛利元就、さらには、合理的無神論者といわれている織田信長さえ多くの戦勝祈願をしていたのだ。
そんな事を考えていると、料理を運ぶ仕事が一段落した女の子が、お店に来る前にお握りを食べたのだけど、コンビニのお握りは、お母さんの握ったお握りと比べ、お腹がすくと大将に向かって話しかけていた。

大将は、一瞬、「エッ」と云う顔を見せたが、暫くしてそうだよなと頷き私の方を見た。

私は、コンビニのお握りと母親のお握りを比べた事などなかったので、母親のお握りには、母の愛情が籠もっているなどと良く分からない理由が条件反射的に頭に浮かんできた。
すると、大将が、コンビニのお握りは、母親のおにぎりに比べ、コメの量が少ないから腹が空くんだと女の子に言った。
確かに大将の指摘した通りだ。
母親のお握りはコンビニのお握りの2倍も3倍もコメの量が多い、そのコメを崩れないようにしっかりと握っているから、正真正銘の握り飯なのだ。
私はこの大将の答えに大いに満足した。

そして、コンビニのお握りが全盛期の時代に、母親のお握りのほうが良いと顔を挙げて元気に語る女の子の姿が頼もしく思えた。

―君のお母さんに乾杯―

私は黙って盃を挙げた。
 
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